ペリクレスを手玉にとった傑物アスパシア【女たちシリーズ009】
ソクラテス:私には、弁論術に関して力量なみなみならぬ女教師がいるのだが、彼女はほかにも多くの優れた弁論家を産みだした。そのなかの一人がギリシア人の中でも傑出したクサティッポスの息子ペリクレスその人なのだよ。
メネクセノス:その女性とは誰でしょうか。むろん言うまでもなく、あなたがおっしゃっているのはアスパシアのことでしょうね。
今日はアスパシアについて。
古代アテネ最大の政治家ペリクレスの愛人だった人です。この人、どんな人だったかというと娼婦なんです。
遊郭を経営していたのですが、ただの娼婦ではありません。
プラトンやアリストファネス、 クセノポンのような一流の知識人が訪れていたというのだから驚きです。
たいへんな美人ですが、それ以上に優れた教養の持ち主だったわけですね。
なにしろペリクレスのもっとも有名な演説、戦没者葬送演説を書いたのはアスパシアと言われているくらいなのです。そのくらい頭のいい女性だと言われていたのです。
当時の娼婦たちは評判は悪いですが立派な職業でした。
アスパシアはアスパシアはイオニア地方のミレトス(現在のトルコ・アイディン州)出身です。古代ギリシャなのにトルコ? などと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、当時はギリシャ人たちの植民地でした。それがどういうわけか、歴史の流れでいまでは犬猿の仲になってしまいました。なんでもサッカーの試合でもお互いの国歌斉唱のときにブーイングするとか……。
そうそう、当時のギリシャでは外国人は結婚できなかったらしいのです。
それで娼婦になるわけです。
当時のギリシャではアスパシアのほかにも有名な娼婦たたちがたくさんいました。
普通の女たちは家を守る仕事がありますから、芸術活動なんでできない。
『家』に鎖でつながれているようなものです。
古代ギリシャは徹底した男社会ですからね、普通の女は文化活動なんて無理ですよ。
だから娼婦たちが自由に活動できたわけです。
『娼婦』というレッテルを貼られていますが、古代ギリシャの娼婦はいまの娼婦よりかはずっと自由で輝いていました。
そのアスパシアですが、たいへん野心的な人物だったようです。
ただの娼婦で終わることなく、政治的に力をもつ男性に愛されたいと常に願っていたのです。たとえば、いまの21世紀の日本でそういうことをしようとしても、無理に決まっています。国会議員の妻に春を売る商売の女性があるのは今のおカタい社会では不可能でしょう。
アスパシアは実行力があり、行動力もありました。
そしてペリクレスを射止めたわけです。ペリクレスは言うまでもなく古代ギリシャ最大の政治家です。
二人は小ペリクレスという子供を授かりました。
だからといってアスパシアが幸せになれたわけではありません。
彼女には困難が待ち構えていました。
これからアスパシアとペリクレスは政敵たちに散々に叩かれることになるのです。
いまの時代だって政治家には政敵がつきものです。
それが外国人の娼婦と一緒に暮らしているというのだから、非難を受けないはずがないのです。
娼婦アスパシアと一緒になったことで非難されました。
話が変わりますが、ZOZOTOWNの前澤社長と剛力彩芽さんが非難されたことがあります。
それについて個人的には色々と言いたいことがあるのですが、それはさておき、この二人への非難なんてペリクレスとアスパシアへの非難にくらべればゴミのようなものです。
まず剛力彩芽さんは女優ですが、アスパシアは娼婦です。
そしてペリクレスはアテナイを代表する政治家ですからね。前澤社長はいくらお金持ちとはいえ洋服屋の社長さんですから。
ペリクレスに消えて欲しいと願っている人物の怨念たるや、前澤社長に向けられたものの比ではないのです。
喜劇作家アリストファネスも『アカルナイの人々』でアスパシアを批判しています。
それどころか先妻との間に生まれたクサンティッポスまでもペリクレスを非難する有様。
しかも、アスパシアは不敬罪に問われます。
民衆に泣いてお願いして無罪にして貰い、「両親共にアテナイ人でなければアテナイの市民権を得られない。」とする自分で提案して成立させた法律をアスパシアとの間に産まれた子供に市民権を与えたいが一心で市民に泣いて頼んで、この子に市民権を与えてしまったり
惚れた弱みといいますか、男というのは好きな女にためなら、そこまでやってしまうものなのです。
ペリクレスはペロポンネソス戦争の最中に疫病によって病死します。
その後、アスパシアはアテナイの将軍で民主主義指導者リシクレスと共に生活し新たな子どもをもうけ、さらにはリシクレスをアテナイの政治指導者に押し上げたといいます。ですが、そのリシクレスも戦死してしまいました。
その後の彼女の人生については誰も知りません。
彼女の子供の小ペリクレスですが、将軍に任命されて勝利したが、アルギヌサイの戦いでスパルタに勝利したにもかかわらず、海難事故での責任をとらされて処刑されました。