かぐらの歴史エンタメ遊園地

歴史の面白い話を書いていこうと。

刺客聶政の姉 聶嫈【女たちシリーズ012】

 中国史を知らない方は聶政という名を聞いたことがないと思います。
 中国の歴史家司馬遷の書いた『史記』に出てくる人物です。
 聶政はそのなかの『刺客列伝』に登場します。
 『刺客』とは暗殺者のことでです。『刺客列伝』は暗殺者ばかりを取り上げています。
 曹?、専諸、豫譲、聶政、荊軻の五名です。
 それにしても、歴史書が暗殺者のような日陰の人間を取り上げるなどめずらしいことです。中国では歴史書は次の代の王朝が編纂します。国家の一大事業なのです。公の要素がとても強いのです。
 『刺客』を司馬遷らしいといえるでしょう。
 聶政の姉についての記述はとても少ないのです。
 しかし、その人生はとても鮮烈です。
 
 聶政は韓の生まれです。
 喧嘩で人を殺したために身を隠すことになりました。
 年老いた母と未婚の姉と一緒に暮らしていた。
 食肉の解体で生計をたてていました。
 肉の解体って下品な仕事だったんですよ。当時は。
 いまは立派な仕事です。でも、当時はそうじゃなかった。はるか後世、清の時代の小説『儒林外史』でも肉の解体業をする人物がいるんですが、お前はどうせ地獄に行くんだなんて言われているくらいですからね。それでも食べていかなければいけないわけです。
 ちなみにどんな肉を解体していたかというと、主に『犬』です。
 当時の戦国時代では、人々は犬も食べていました。
 そんな聶政のもとへ厳仲子という人物が訪れます。
 この厳仲子、韓の大臣です。
「義士として有名なあなたと親交をむすびたい」というのです。
 そして一ヶ月に一度、聶政のところに通うのです。
 たかが肉屋のもとへ一国の大臣が足しげく通うなど並大抵のことではありません。
 数ヶ月後、厳仲子聶政の老母の長寿を祝う宴席を催し、その際の祝いと称して二千両もの大金を贈ったのです。
 これほどの大金を受け取るわけにはいかないと断ると、
『私には恨みを晴らさねば死んでも死にきれない思いをしている人物がおります。
私は手助けを頼める人物を探し求め、やっと貴方を見つけたのです。
このお金は貴方の母上の生活費として私にお力をお貸しください』
   と言い、なんとか受け取らせようとするも、聶政は、

『こうして犬殺しに身をやつしているのも、母を養うため。

 母が生きているかぎりはこの身を他人にまかせるわけにはいかない』
 それでも厳仲子はあきらめませんでした。


 気が変わったら衛の濮陽も自分を訪ねてくるようにと伝えて去ったのです。
 数年後、姉は嫁いで、年老いた聶政の母は他界した。

 聶政は、濮陽の地を訪れた。


『母は天寿を全うしたので今は思い残すことはない。
仇を報いたいと望む相手は誰であろうか。その大事、どうか自分にやらせていただきたい』
 と決意の程を厳仲子に伝えた。

 敵が侠累である事を聞くと、厳仲子に被害が及ばぬようにと、一人身で韓の国に入った。

 宰相の侠累の屋敷に向った聶政は、侠累に訴えたいことがあるとしてもぐりこもうとしたが、門番に止められた為に無双モードに切り替え、剣を奪って侠累を一太刀にて切り殺し、他にも手当たり次第に数十人殺害した後に逃走を図ろうとしたが、逃げられぬと悟った聶政は、

『男の死に様をよく見ておけ!』
 と言い放つと、手に持っていた剣で顔を削ぎ、自ら目をくりぬき、腹かっさばいて内臓をつかみ出して息絶えたのです。

 顔で身元確認することができない状態になっていた為、聶政を死体を街中にさらして千金と引き換えに姓名を知る者がいないかを布告した。

 胸騒ぎを感じて魏の国に来た聶政の姉が、死体のほくろの位置からそれが聶政である事を認めると、

『この男は、私の弟で聶政と言います』
 と、名乗り出たのです。

 周囲の人々が、聶政の姉も同罪で処分されるので撤回するようにと諌めたが、

『我が弟が世の汚辱を被りながらも、商人風情の間に身を落としていたのは、老母が幸いに無病息災にながらえ、私がまだ嫁いでいなかったからです。
しかし親はすでに天寿を全うして世を去り、私もすでに他家へ嫁ぎました。
しかし、今なお私が存命であるので、このように我が身を傷つけて、罪がわたしに及ぶのを避けようとしたのでしょう。
でも、それは彼の義ではあっても、私の義ではございません。
この私が罰を恐れるあまりに、どうして賢弟の名を世に埋もれさせることができましょうか』
 と言って、大声で三度天に声を上げると、聶政の遺体のかたわらで自害して果てた。

 話はたちまちに広まり、

 恩義に応えた聶政も立派だが、姉も立派な烈女だ。
 と言って人々は涙したと言われています。