かぐらの歴史エンタメ遊園地

歴史の面白い話を書いていこうと。

オリュンピアス アレクサンドロス大王の母 蟲毒のごときディアドゴイ戦争の果てに【女たちシリーズ011】

 女は弱し、されど母は強し。

 

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 などと言います。今回はアレクサンドロス大王の母オリュンピアスについて。
 オリュンピアスはエピロス王ネオプトレモス1世の娘、マケドニアフィリッポス2世と結婚しました。
 そして19歳くらいのときにアレクサンダー大王ことアレクサンドロス3世を出産するのです。
 ちなみにアレクサンダー大王には妹がいます。
 名前はクレオパトラといいます。
 クレオパトラというと『あの』エジプトのクレオパトラを思い浮かべるでしょうが、あちらのクレオパトラは正しくはクレオパトラ7世といいます。
 同名の別人なのです。
 ちなみにアレクサンドロスもたくさんいるのです。歴史には同じ名前の人物がたくさん出てくる。
 このオリュンピアスは4人目の妻なのです。
 フィリッポス2世ですが、たいへんな君主です。
 マケドニアを一大強国に仕立て上げ、ギリシャの覇権をつかんだ人物なのですから。
 エパメイノンダスの家で教育を受けた。この時代に、ピリッポスはファランクス、エパメイノンダス考案の斜線陣などのテーバイ軍の陣形を学んだといわれている。
 そのフィリッポス2世と喧嘩をしてしまいます。
 そして国を追放されてしまうのです。
 息子であるアレクサンドロス3世のおかげでどうにかよりを戻すことができます。
 が、そのフィリッポス2世は死んでしまいます。
 暗殺です。
 フィリッポス2世には7人の妻がいました。
 そのうちは大半はすでにこの世を去っていて、そのうちの一人メーダは後を追って自殺しました。
 7人の妻のなかでクレオパトラ・エウリュディケという女性がいました。
 オリュンピアスはこの娘エウローペーと息子カラノスを死に追いやるのです。
 アレクサンドロス3世の覇業にとって邪魔な存在だからです。
 母の愛は強し、と言いますがここまでくると恐ろしいものがあります。
 息子アレクサンドロス大王は東方に遠征して偉業を成し遂げます。
 ですが、帰国途中に病に倒れて亡くなってしまうのです。
 偉大なるわが子を失ったオリュンポスの気持ちたるかいかほどだったでしょうか……。
 アレクサンドロスはあまりにも有名な遺言を遺します。
 その帝国を誰に継がせるかとの問いに、
「もっとも優れたるものを」と。
 この問いに答えるために、40年にもわたる凄絶な後継者争いすなわちディアドゴイ戦争が起こるのです。
 大王の死後、バビロン会議で大王の広大な領地は将軍たちに分割されます。
 そのなかでアレクサンドロス大王の母オリュンピアスも暗躍するのです。
 オリュンピアスが目をつけたのが、アレクサンドロス大王死後の
 騎兵の総大将となったペルディッカスでした。
 母オリュンピアスは、自分の娘クレオパトラとの結婚を勧めたのです。
 先ほど話にでてきたアレクサンドロス大王の妹です。
 ペルディッカスにとっては渡りに船です。
 大王の血縁者になれば、王の後継者となることだってできるのです。
 しかし、障害がありました。
 後継者(ディアドゴイ)の一人であるアンティパトロスの娘ニカイアに政略結婚を申し込んだばかりなのです。
 ですが、野心家のペルディッカスは大王の血縁になれるという、鴨がネギ背負ってやってきたようなオイシイ話を逃すつもりにはなれません。
 そこでニカイアと一旦、結婚して、かじった林檎を放り捨てるかのように即座に離婚しました。
 そして大王の娘と結婚しようとしたのです。
 当然、アンティパトロスは激怒、他の後継者たちとともにペルディッカスを攻めるのです。
 ペルディッカスは部下に殺されてしまうのです。
 つぎに台頭したのがアンティパトロスです。
 ですが、その際に病を得て死んでしまいます。
 このとき、アンティパトロスはその地位を自らの息子ではなく老将ポリュペルコンに譲ってしまうのです。
 これを恨んだのがカッサンドロスなのです。
 ディアドゴイ戦争の混乱のさなか、オリュンピアスはポリュペルコンの支持を得て、フィリッポス3世を殺害します。
 それをみてカッサンドロスが兵を率いてやってきます。
 オリュンピアスの篭るピュドナを包囲します。
 食料が窮乏したピュドナの住民たちは飢えに飢えて、死肉をあさる有様だったという。
 オリュンピアスは船で脱走しようとするのですが、捕まってしまいます。
 カッサンドロスは、オリュンピアスがこれまで殺してきた親族たちを連れてきます。
 親族たちはオリュンピアスを殺すよう頼みます。
 ところがカッサンドロスはオリュンピアスのもとにこっそりと使者を送るのです。
 船を用意しているから、アテナイへ逃げろと。
 これはカッサンドロスの狡猾な罠でした。
 オリュンピアスが逃げる途中で殺し、彼女に恥辱に満ちた死を与えようとの思惑でした。
 しかし、オリュンピアスはこれを断りました。

 あくまでも聴衆の前に身をさらし、自らの身の潔白を訴えるつもりだったのです。

 これを聞いたカッサンドロスは戦慄しました。

 彼女はアレクサンドロス大王の母親、もしも弁明すれば、聴衆は心変わりするかもしれない……。
 カッサンドロスはさっそく200の兵を差し向けた。
 しかし、オリュンピアスは王母。宮廷に押し入ったもののその威厳に打たれて何もできず帰っていった。
 しかし、彼女に肉親を殺された親族たちにはその威厳も通じなかった。
 オリュンピアスは石打の刑にして殺された。

 人生を権力をつかむことに一生を捧げたオリュンピアスは、命乞いを一切しなかったそうです。

目次

これまで書いた記事のまとめです。

 

【女たちシリーズ】

その1・古代編

第1回 セミラミス

kagurayukkuri.hatenablog.com

第2回 ハトシェプスト

kagurayukkuri.hatenablog.com

第3回 ルクレティア

kagurayukkuri.hatenablog.com

第4回 夏姫

kagurayukkuri.hatenablog.com

第5回 南子

kagurayukkuri.hatenablog.com

第6回 サッフォー

kagurayukkuri.hatenablog.com

第7回 クサンティッペ

kagurayukkuri.hatenablog.com

第8回 ネフェルティティ

kagurayukkuri.hatenablog.com

 

第9回 アスパシア

kagurayukkuri.hatenablog.com

 

第10回 フリュネ

kagurayukkuri.hatenablog.com

娼婦フリュネと弁護士ヒュペレイデス【女たちシリーズ010】

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 今回も古代ギリシャの娼婦です。
 紹介する女性はフリュネです。
 この女性、裁判で罪に問われたときに聴衆の前で裸になって無罪になったといういわくつきの人物。
 このフリュネという名は本名ではないのです。
 『あだ名』です。
 ネサレテというのが本当の名です。ちなみにどういう意味かというと、

 

ヒキガエル

 

 という意味だそうです……。すげえな、とすこしドン引きしてしまいますが、当時の娼婦たちはよくこんな風にあだ名をつけられていたらしいです。紀元前371年頃生まれだそうで、テーパイの軍事的天才エパミノンダスがレウクトラの戦いでスパルタを倒して覇権をにぎった年なんですね。
 フリュネは娼婦ですがたいへん裕福な女性でした。
 これはと思った人物は無料でその身をあたえたといいます。たとえば哲学者のディオゲネスに身をあたえたそうです。


 いつの時代も男は女に弱い。色気に弱い。

 この女の武器を盾にとって戦争反対のストライキを起こしたアリストファネスの『女の平和』なんて作品があるくらいです。
 こんな美人がどうして罪に問われたかというと、これがまたよくわからないのです。
 ある種の不敬罪があったとのことです。

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ジャン=レオン・ジェローム
『アレオパゴス会議の前でのフリュネ』



 

 弁護したのはヒュペレイデスという弁護士で、フリュネの恋人の一人です。

 


 判決が不利になるかと見えた時、ヒュペレイデスが裁判官達の同情を得ようとフリュネの衣服を脱がせ、胸元を顕わにした。彼女の美しさが、神秘的な恐れとともに裁判官達の胸を打ち、彼らは「アプロディーテーの女預言者であり神官」に有罪の判決を下すことができなかった。

 ここまでだとべつにwikipediaにも書いてあることなんですが、じつはこのエピソード、フリュネの美しさをし強調したエピソードであると同時にヒュペレイデスの雄弁を語ったエピソードでもあるんですね。
 ヒュペレイデスはただの弁護士ではありませんでした。
 アレクサンドロス大王の死後、ギリシャはマゲドニア帝国にたいして反乱を起こします。


 その指導者の一人こそがヒュペレイデスなのです。
 


 しかし、軍事的に優れたマケドニア帝国には太刀打ちできませんでした。
 ラミア戦争に敗れたギリシャの指導者たちは処刑されます。もちろん、ピュペレイデスも……。

 日本でも江戸時代に花魁たちがもてはやされましたが、権力者たちと交友を持ち政治にまで口を出すほど力をもつ娼婦は現れませんでした。古代ギリシャの女たちが家庭のなかに押し込められたからこそ咲き誇った花々なのです。

ペリクレスを手玉にとった傑物アスパシア【女たちシリーズ009】

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 ソクラテス:私には、弁論術に関して力量なみなみならぬ女教師がいるのだが、彼女はほかにも多くの優れた弁論家を産みだした。そのなかの一人がギリシア人の中でも傑出したクサティッポスの息子ペリクレスその人なのだよ。
 メネクセノス:その女性とは誰でしょうか。むろん言うまでもなく、あなたがおっしゃっているのはアスパシアのことでしょうね。


プラトン『メネクセノス』より

 


 今日はアスパシアについて。
 古代アテネ最大の政治家ペリクレスの愛人だった人です。この人、どんな人だったかというと娼婦なんです。
 遊郭を経営していたのですが、ただの娼婦ではありません。
 プラトンアリストファネス、 クセノポンのような一流の知識人が訪れていたというのだから驚きです。
 たいへんな美人ですが、それ以上に優れた教養の持ち主だったわけですね。

 

 なにしろペリクレスのもっとも有名な演説、戦没者葬送演説を書いたのはアスパシアと言われているくらいなのです。そのくらい頭のいい女性だと言われていたのです。

 

 当時の娼婦たちは評判は悪いですが立派な職業でした。


 アスパシアはアスパシアはイオニア地方のミレトス(現在のトルコ・アイディン州)出身です。古代ギリシャなのにトルコ? などと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、当時はギリシャ人たちの植民地でした。それがどういうわけか、歴史の流れでいまでは犬猿の仲になってしまいました。なんでもサッカーの試合でもお互いの国歌斉唱のときにブーイングするとか……。


 そうそう、当時のギリシャでは外国人は結婚できなかったらしいのです。
 それで娼婦になるわけです。

 当時のギリシャではアスパシアのほかにも有名な娼婦たたちがたくさんいました。

 普通の女たちは家を守る仕事がありますから、芸術活動なんでできない。
 『家』に鎖でつながれているようなものです。
 古代ギリシャは徹底した男社会ですからね、普通の女は文化活動なんて無理ですよ。
 だから娼婦たちが自由に活動できたわけです。
 『娼婦』というレッテルを貼られていますが、古代ギリシャの娼婦はいまの娼婦よりかはずっと自由で輝いていました。


 そのアスパシアですが、たいへん野心的な人物だったようです。
 ただの娼婦で終わることなく、政治的に力をもつ男性に愛されたいと常に願っていたのです。たとえば、いまの21世紀の日本でそういうことをしようとしても、無理に決まっています。国会議員の妻に春を売る商売の女性があるのは今のおカタい社会では不可能でしょう。
 アスパシアは実行力があり、行動力もありました。
 そしてペリクレスを射止めたわけです。ペリクレスは言うまでもなく古代ギリシャ最大の政治家です。
 二人は小ペリクレスという子供を授かりました。


 だからといってアスパシアが幸せになれたわけではありません。
 彼女には困難が待ち構えていました。

 これからアスパシアとペリクレスは政敵たちに散々に叩かれることになるのです。

 いまの時代だって政治家には政敵がつきものです。
 それが外国人の娼婦と一緒に暮らしているというのだから、非難を受けないはずがないのです。
 娼婦アスパシアと一緒になったことで非難されました。

 話が変わりますが、ZOZOTOWNの前澤社長と剛力彩芽さんが非難されたことがあります。
 それについて個人的には色々と言いたいことがあるのですが、それはさておき、この二人への非難なんてペリクレスとアスパシアへの非難にくらべればゴミのようなものです。
 まず剛力彩芽さんは女優ですが、アスパシアは娼婦です。
 そしてペリクレスアテナイを代表する政治家ですからね。前澤社長はいくらお金持ちとはいえ洋服屋の社長さんですから。
 ペリクレスに消えて欲しいと願っている人物の怨念たるや、前澤社長に向けられたものの比ではないのです。

 


 喜劇作家アリストファネスも『アカルナイの人々』でアスパシアを批判しています。
 それどころか先妻との間に生まれたクサンティッポスまでもペリクレスを非難する有様。

 

 しかも、アスパシアは不敬罪に問われます。

 民衆に泣いてお願いして無罪にして貰い、「両親共にアテナイ人でなければアテナイの市民権を得られない。」とする自分で提案して成立させた法律をアスパシアとの間に産まれた子供に市民権を与えたいが一心で市民に泣いて頼んで、この子に市民権を与えてしまったり
 惚れた弱みといいますか、男というのは好きな女にためなら、そこまでやってしまうものなのです。

 

 ペリクレスはペロポンネソス戦争の最中に疫病によって病死します。

 その後、アスパシアはアテナイの将軍で民主主義指導者リシクレスと共に生活し新たな子どもをもうけ、さらにはリシクレスをアテナイの政治指導者に押し上げたといいます。ですが、そのリシクレスも戦死してしまいました。

 

 その後の彼女の人生については誰も知りません。

 

 彼女の子供の小ペリクレスですが、将軍に任命されて勝利したが、アルギヌサイの戦いでスパルタに勝利したにもかかわらず、海難事故での責任をとらされて処刑されました。

古代エジプト伝説の美女 ネフェルティティ【女たちシリーズ008】

 世界三大美人といえば小野小町楊貴妃、そしてクレオパトラですね。

 もっともこれが本当に世界三大美人なのが僕には疑問です。日本人にしか通用しない三大美人だと思います。

 小野小町とか外国人知っているのかな、と、疑問に思いますが……。

 しかし、クレオパトラが世界中に知られている存在というのは間違いないでしょう。

 

 それと同時にエジプト三大美女というのがあるらしい。

 

 一人は言うまでもなくクレオパトラ

 一人はラムセス2世の妻ネフェルタリ。

 そしてもう一人が今回登場するネフェルティティです。

 

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 ちなみに前回紹介したハトシェプストは三大美女に入っていません。

 まあ、女でありながら女を捨ててファラオとして君臨しようとした人なので、三大美女に入れること自体間違っているかもしれません(センムトを愛人にしていたようですが……)。

 

 

 年代としては紀元前14世紀中頃です。

 ハトシェプストのだいたい百年後の人物です。

 

 

 もうこの頃になると

 すごい昔……、

 としか言い様がないほど昔のできごとで、百年の月日まで誤差にすぎないんじゃないかと錯覚してしまいます。

 

 中国だと殷の時代ですか……。日本だったら邪馬台国なんてはるか未来の話。

 

 そのネフェルティティですが、その正体は謎めいているんですよ。

 ミタンニ王国から嫁いできた説と大神官アイの娘だという説があります。

 

 ※

 

 そのネフェルティティですが、当時のファラオであるアメンホテプ3世に嫁ぎます。

 アメンホテプ3世の在位は長期間にわたり、40年近く続いたといいます。

 当時のエジプトは強国でした。

 ハトシェプストの息子であるトトメス3世、その息子のトトメス4世のおかげで当時のエジプト第18王朝は隆盛していました。

 しかし、アメンホテプ3世は死を迎えます。

 いくら強大な力をもつファラオでも、死に打ち勝つことはできないのです。

 アメンホテプ3世の死後、ハトシェプストはアメンホテプ4世の正妃となります。

 このアメンホテプ4世、アメンホテプ3世の息子です。

 息子の妻に父親の愛人になるなんてすごいですよね。我々庶民には想像もできない世界ですよね……。

 

 この二人、どうやら相当愛しあっていたみたいです。

 人前で平然とキスするような間柄だったらしいです。

 

 なんとなくこれは想像ですけど、ネフェルティティの方が姉さん女房だったのかなという気がします。 

 

 アメンホテプ4世の母親はティイといいます。

 この人もミタンニ王国出身なんですけど、平民の娘だったのです。

 当時のファラオが王家の血をひかない平民の娘を妃にすることなど滅多にありませんでした。アメンホテプ3世はティイをとても大切にしました。

 アメンホテプ4世は王家の環境にしてはめずらしいくらい自由な空気のもとで育ったのでしょうか。

 

 そして有名な宗教改革を行います。

 アマルナ改革です。

 

 アメンホテプ4世は都をテーベからテル・エル・アマルナに遷都して、自らをイクナアトン(アトンに愛されしもの)と名乗ったのです。

 そして自由な気風のアマルナ文化が栄えました。

 これは学校で世界史を習った方ならご存知のことだと思います。

 自分も高校は世界史を選択していたので覚えていました。

 しかし、その理由なんて深いところまで考えているわけではありません。

 

 イクナアトン……なんかカッコいい響きだなぁ……。

 

 その程度のことしかわかりません。どうしてこんなことが起こったのかなんて考えたことありませんでした。

 ところで、アメンホテプ4世の父親のアメンホテプですが……。

 この人も遷都しているんです!

 テーベからマルカタへの遷都を行っています。

 

 その理由は神官たちにありました。

 アメン神官団は強大な力をもっていました。アメン神官団たちの本拠地は都のテーベで、その力を削ぐために遷都をしたわけですね。

 アメンホテプ4世が遷都をしていたのは知っていましたが、そのお父さんまで遷都をいていたなんて知りませんでした。

 神官に敵対的だったのはアメンホテプ4世ばかりではありません。その父、いや、その前のトトメス4世の時代からすでに神官たちと対立してその力を削ごうとしていたのです。

 

 

 それまでのエジプトは多神教でしたが、このアメンホテプ4世になって一神教になります。旧来のアメン信仰は禁止されるのです。

 アメンホテプ4世はアテンの信仰によって平和的な世の中を築こうとしました。

 しかし、政治の世界は力の世界です。アメンホテプ4世の理想どおりの世の中にはなりませんでした。

 アメンホテプ4世の死後、子のツタンカーメンはメンフィスに遷都。

 次の王アイの時代に信仰は旧来のアテン信仰に戻ります。

 

 ちなみに平和な世の中を欲したアメンホテプ4世ですが、新都テル・エル・アマルナを建築するためにかなり労働者を酷使したようです。

 ピラミッドを建築したときの奴隷はわりと待遇がよかったことを考えると、アメンホテプ4世の治世はわりとブラック企業だったのかもしれません。

 

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 ネフェルティティのその後の人生については詳しく知られていません。

 記録が抹消されたからです。

 

 ただ、ネフェルティティの胸像がその美しさを伝えるばかりです。

 

 

悪妻クサンティッペと向けられた嫉妬【女たちシリーズ007】

 悪妻

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 みなさんはこの言葉についてどう思いますか?

 

 三大悪女というのがいるそうです。

   クサンチッペは「世界三大悪妻」の1人として、西洋では知れ渡っています。 
三大悪妻はクサンティッペモーツァルトの妻コンスタンツェ、そしてトルストイの妻のソフィア・アンドレエヴナ、ということになっています。

 

 

 それにしてもなぜこの三人が世界でもっとも悪い妻なのでしょうか? 

 世界史には夫を殺した女はたくさんいるのに?

 

 

 ソクラテスについてはもはや説明不要でしょう。

 伝説の哲学者です。人類史に多大な影響をあたえましたが、夫として立派だったかどうかはわかりません。

 容姿は魁偉であまり美しくなかったといいます。はっきり言って醜かったです。しかし、人を引きつける不思議な魅力の持ち主でした。残念ながらその能力はクサンティッペには通じませんでしたが。

 

 ろくに働きもせず青年と語り合っているイメージが先行するソクラテスですが、ペロポンネソス戦争では重装歩兵として参加しています。古代ギリシャ人は我々とは生活が違いますからね。

 

 クサンティッペについてプラトンはこんなことを言っています。

 著作『パイドン』において、

「妻としても母としても何ら貢献をしなかった」

 と書いているのです。

 

 

 

 プラトンにあれだけ崇拝されていたのだから、ソクラテスが魅力的な人物だったのは間違いありません。とはいえ、ぶっちゃけ無職ですからねぇ……。当時、クサンティッペには3人の子供がいたはずで、育児子育てが大変だったはずなのです。

 だから、クサンティッペが怒るのも無理はないというのが通説なのです。

 しかし、ふと疑問に思うのです。

 なんでプラトンクサンティッペの気持ちがわからなかったのか、と……。

 プラトンソクラテスの死後、アガデメイアという学園を創設します。

 言ってみれば、大学の学長ですね。

 色々な人生経験だってしただろうし、ふつうに考えればクサンティッペの気持ちもわかるはずなんです。

 クサンティッペは15歳くらいのときに50歳くらい(おそらくは52歳)のソクラテスと結婚しているんです。古代ギリシャだと女性が15歳、男性が30歳くらいのときに結婚するのがふつうだったんです。ちなみにアリストテレスは男性の結婚の適齢期は35歳だと言っています。

 35歳差の夫婦って、まず僕の感覚でいうと普通じゃないですよ……。

 意思疎通できるのかなって……。

  ソクラテスは70歳くらいのときに死んだんです。だからそのときにはクサンティッペは35歳くらいになっているはず。

 ふと、思うんですよ。

 プラトンってソクラテスデキてきたんじゃないかなって……。

 当時、男同士の恋愛って古代ギリシャではわりと普通にありました。肉体的にはどうだったのか知りませんが、

 クサンティッペは幼い上に、古代ギリシャは男尊女卑の世界ですから、当時のアテナイの女性は家庭に押し込められていました。(例外はあります。アスパシアのような高級娼婦は男に負けず劣らず教養があった。それについては今後書きたいと思います)。

 

  教養のない女め……って嫉妬していた、その可能性は捨てきれない。

 

  自分こそがもっともソクラテスを理解しているのだと。愛しているのだと。

 その強烈な想いがクサンティッペを事実以上に悪妻に仕立て上げたのかもしれないのです。

 弟子のペテロ・パウロの伝道がキリスト教を押し上げたように、弟子のプラトンの著作がソクラテスをヨーロッパ最高の哲学者に押し上げたことは疑いようのないことでしょう。

 

 

女性大好きな同性愛者の詩人サッフォー【女たちシリーズ006】

 今回は同性愛者の詩人として有名なサッフォーについて。

 

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 こちらのはてなブログでも執筆されている勝間和代さんも同性愛者だとカミングアウトされています。

 いつの間にか同性愛というのは悪ということになってますけど、どうなんでしょうねぇ……。いつごろからでしょうか?

 マンモス追い回して原始人の時代から『同性愛は悪だ!』なんてことはなかったと思います。

 古代ギリシャの頃は同性愛は悪ではなかったはずです。

 

 

 サッフォーはレスボス島で生まれ、紀元前596年にシケリア島に亡命し、その後、レスボスに戻ったということのみ伝えられています。

 ちなみに世界史で習うソロンの改革が紀元前593年頃だったはず。

 そこで学校を設立したといいますが、

 女性しか入学できない学校

 というのだから驚きです!!

 もちろんいまの時代なら女子高は当たり前です。

 しかし、それがレズビアン……(サッフォーの出身地であるレズボス島からこの言葉が誕生したそうです。この言葉は蔑称であるらしく、正しくはバイセクシャルというべきらしいのですが)、つまりサッフォーが

 女子を育てて良妻賢母にしたいわけではない。

 

 女の子がすきだから……。

 

 そういう理由で学校を設立したわけです。

 サッフォーの詩は上田敏氏の翻訳で青空文庫で見ることができます。

 女の弟子と交際したのですが、最後はふられて崖の上から身投げしたと伝えられています。

 同性にふられて自殺……なかなか衝撃的な最後ですが、いまの時代だったらもっと衝撃的でしょう。いまはマスコミは控えめになっていますが、ネットならまとめサイトであちこちで書かれまくっていることでしょう。

 

 女の弟子と交際したのですが、最後はふられて崖の上から身投げしたと伝えられています。

 同性にふられて自殺……なかなか衝撃的な最後ですが、いまの時代だったらもっと衝撃的でしょう。いまはマスコミは控えめになっていますが、ネットならまとめサイトであちこちで書かれまくっているに違いありません。

 

 しかし、サッフォーはそんなことは気にも留めないでしょう。

 


 同性愛者であることを堂々と公表できるのは自分の才能に対する大いなる自信の現れなのでしょう。

 

 いまの世の中、同性愛はそんなに衝撃的な出来事ではなくなっているような気がします。もちろん、自分の会社や学校に同性愛者がいたらとしたらそれは驚きます。驚かないといったらウソになります。しかし、同性愛が悪という認識は今の時代は薄れてきているのではないのでしょうか?