恋仇を罠にかけて破滅させる女 鄭袖【女たちシリーズ013】
優しい人って誰でも好きだと思います。
でも、それがよからぬ陰謀を隠し持っていたら……。
腹黒い人間は、一件優しそうに見えるものです。
※
これは戦国時代の楚のお話。
楚は戦国七雄の一つで、南方に位置する大国です。
南の国なので、文化が中原とは違う独特の文化圏をもつ国家です。
この話は楚の末期、懐王の時代です。
ところでいつの時代でも王というのは女が大好きです。
とくに美女が。
よほどの名君でもなければその誘惑に打ち勝つことができない。
王ですから、後宮にはたくさんの美女がいます。
王はお世継ぎを得なければいけませんから、そういうわがままも許されるわけですね。
そして後宮の女たちはというと、王の寵愛を得るために必死になるわけです。
自分の女としての幸せは王の寵愛によって決まる、そういう世界なわけですから。
王さまに愛された女性が幸せをつかみ取れるわけです。
その寵愛を受けた女性が、見た目同様に美しい心をもっていれば問題ありません。
ですが、もしも蛇蝎のごとく凶悪な心の持ち主であったとしたら……。
後宮においてそのような女性は稀です。見た目の華やかさとは裏腹に足を引っ張り合う修羅場の世界なのです。それはもう本当に命がけです。
※
懐王という王様のもとに魏の王様から美女が送られました。
秦が大国となり、脅威となった時代です。
だからお互いに仲良くしなければならないわけですね。
いつの時代も権力者は女が好きです。
昔の話ではありません。日本にだって権力者に取り入るために女を送ることがありました。
戦後の日本でもそういうことがあったそうです。とある商社が東南アジアの大統領に取り入るために……。
話が脱線しました。もとに戻しましょう。楚の国には鄭袖という女性が愛妾がいました。
その鄭袖が嫉妬しないかと、心配で心配で仕方ありません。
後宮というのは嫉妬の渦巻く世界、王の愛のみで生きている女たちの巣屈なのです。
そのもとへ美女がやってきたのですから、女たちは嫉妬しないはずがありません。
ところが……。
王の意に反して、後宮のライバルであるはずの鄭袖が、その美女をたいへんかわいがったのです。
部屋の調度も自分と同じものを用意してやり、さらに異国で心細い の相談相手になってあげたのです。
「女は色香で仕えるものと思っていたが、鄭袖はじつに真心のある女だ」
と、懐王も満足しました。
魏から送られてきた美女もすっかり心を
しばらく経ってからのこと、鄭袖は美女に、
「陛下はあなたを心の底から愛していらっしゃるようです。ですが、どうもあなたの鼻の形がお気に召さないようです。ですから、これからは陛下の前に出るときは、鼻を小袖で隠した方がいいですわ」
美女は納得してそのとおりにした。
さて、懐王はというと美女が自分の前に現れると鼻を隠すものですから不思議でなりません。
そこで日頃から面倒を見ている鄭袖に相談しました。
「どうして最近、私の前では、鼻を隠しておるのじゃろう。」
「それは・・・・。」
鄭袖は、言い難そうにしていた。
「何か知っておるのか。遠慮は要らぬ。早く申せ。」
「はい、陛下のお体の臭いが嫌いだと申しておりまして・・・・・。」
「何だと、けしからんヤツじゃ。即刻、鼻切りの刑にしてしまえ。」
美女は、申し開きをする機会も無く、鼻を削ぎ落とされた。
鄭袖はじつに陰惨で狡猾な方法で後宮のライバルを葬ったわけです。
しかし……。
騙される懐王も懐王なのです。
もしも懐王が賢君であるならば、鄭袖はこのような策を弄することはなかったでしょう。
鄭袖は懐王が騙されるとわかっていたわめです。
ちなみにこの懐王は中国の代表的な暗君の一人です。
秦との戦いに敗れ秦に幽閉されたまま寂しく死んでいきました。
刺客聶政の姉 聶嫈【女たちシリーズ012】
中国史を知らない方は聶政という名を聞いたことがないと思います。
中国の歴史家司馬遷の書いた『史記』に出てくる人物です。
聶政はそのなかの『刺客列伝』に登場します。
『刺客』とは暗殺者のことでです。『刺客列伝』は暗殺者ばかりを取り上げています。
曹?、専諸、豫譲、聶政、荊軻の五名です。
それにしても、歴史書が暗殺者のような日陰の人間を取り上げるなどめずらしいことです。中国では歴史書は次の代の王朝が編纂します。国家の一大事業なのです。公の要素がとても強いのです。
『刺客』を司馬遷らしいといえるでしょう。
聶政の姉についての記述はとても少ないのです。
しかし、その人生はとても鮮烈です。
聶政は韓の生まれです。
喧嘩で人を殺したために身を隠すことになりました。
年老いた母と未婚の姉と一緒に暮らしていた。
食肉の解体で生計をたてていました。
肉の解体って下品な仕事だったんですよ。当時は。
いまは立派な仕事です。でも、当時はそうじゃなかった。はるか後世、清の時代の小説『儒林外史』でも肉の解体業をする人物がいるんですが、お前はどうせ地獄に行くんだなんて言われているくらいですからね。それでも食べていかなければいけないわけです。
ちなみにどんな肉を解体していたかというと、主に『犬』です。
当時の戦国時代では、人々は犬も食べていました。
そんな聶政のもとへ厳仲子という人物が訪れます。
この厳仲子、韓の大臣です。
「義士として有名なあなたと親交をむすびたい」というのです。
そして一ヶ月に一度、聶政のところに通うのです。
たかが肉屋のもとへ一国の大臣が足しげく通うなど並大抵のことではありません。
数ヶ月後、厳仲子聶政の老母の長寿を祝う宴席を催し、その際の祝いと称して二千両もの大金を贈ったのです。
これほどの大金を受け取るわけにはいかないと断ると、
『私には恨みを晴らさねば死んでも死にきれない思いをしている人物がおります。
私は手助けを頼める人物を探し求め、やっと貴方を見つけたのです。
このお金は貴方の母上の生活費として私にお力をお貸しください』
と言い、なんとか受け取らせようとするも、聶政は、
『こうして犬殺しに身をやつしているのも、母を養うため。
母が生きているかぎりはこの身を他人にまかせるわけにはいかない』
それでも厳仲子はあきらめませんでした。
気が変わったら衛の濮陽も自分を訪ねてくるようにと伝えて去ったのです。
数年後、姉は嫁いで、年老いた聶政の母は他界した。
聶政は、濮陽の地を訪れた。
『母は天寿を全うしたので今は思い残すことはない。
仇を報いたいと望む相手は誰であろうか。その大事、どうか自分にやらせていただきたい』
と決意の程を厳仲子に伝えた。
敵が侠累である事を聞くと、厳仲子に被害が及ばぬようにと、一人身で韓の国に入った。
宰相の侠累の屋敷に向った聶政は、侠累に訴えたいことがあるとしてもぐりこもうとしたが、門番に止められた為に無双モードに切り替え、剣を奪って侠累を一太刀にて切り殺し、他にも手当たり次第に数十人殺害した後に逃走を図ろうとしたが、逃げられぬと悟った聶政は、
『男の死に様をよく見ておけ!』
と言い放つと、手に持っていた剣で顔を削ぎ、自ら目をくりぬき、腹かっさばいて内臓をつかみ出して息絶えたのです。
顔で身元確認することができない状態になっていた為、聶政を死体を街中にさらして千金と引き換えに姓名を知る者がいないかを布告した。
胸騒ぎを感じて魏の国に来た聶政の姉が、死体のほくろの位置からそれが聶政である事を認めると、
『この男は、私の弟で聶政と言います』
と、名乗り出たのです。
周囲の人々が、聶政の姉も同罪で処分されるので撤回するようにと諌めたが、
『我が弟が世の汚辱を被りながらも、商人風情の間に身を落としていたのは、老母が幸いに無病息災にながらえ、私がまだ嫁いでいなかったからです。
しかし親はすでに天寿を全うして世を去り、私もすでに他家へ嫁ぎました。
しかし、今なお私が存命であるので、このように我が身を傷つけて、罪がわたしに及ぶのを避けようとしたのでしょう。
でも、それは彼の義ではあっても、私の義ではございません。
この私が罰を恐れるあまりに、どうして賢弟の名を世に埋もれさせることができましょうか』
と言って、大声で三度天に声を上げると、聶政の遺体のかたわらで自害して果てた。
話はたちまちに広まり、
恩義に応えた聶政も立派だが、姉も立派な烈女だ。
と言って人々は涙したと言われています。
オリュンピアス アレクサンドロス大王の母 蟲毒のごときディアドゴイ戦争の果てに【女たちシリーズ011】
女は弱し、されど母は強し。
などと言います。今回はアレクサンドロス大王の母オリュンピアスについて。
オリュンピアスはエピロス王ネオプトレモス1世の娘、マケドニア王フィリッポス2世と結婚しました。
そして19歳くらいのときにアレクサンダー大王ことアレクサンドロス3世を出産するのです。
ちなみにアレクサンダー大王には妹がいます。
名前はクレオパトラといいます。
クレオパトラというと『あの』エジプトのクレオパトラを思い浮かべるでしょうが、あちらのクレオパトラは正しくはクレオパトラ7世といいます。
同名の別人なのです。
ちなみにアレクサンドロスもたくさんいるのです。歴史には同じ名前の人物がたくさん出てくる。
このオリュンピアスは4人目の妻なのです。
フィリッポス2世ですが、たいへんな君主です。
マケドニアを一大強国に仕立て上げ、ギリシャの覇権をつかんだ人物なのですから。
エパメイノンダスの家で教育を受けた。この時代に、ピリッポスはファランクス、エパメイノンダス考案の斜線陣などのテーバイ軍の陣形を学んだといわれている。
そのフィリッポス2世と喧嘩をしてしまいます。
そして国を追放されてしまうのです。
息子であるアレクサンドロス3世のおかげでどうにかよりを戻すことができます。
が、そのフィリッポス2世は死んでしまいます。
暗殺です。
フィリッポス2世には7人の妻がいました。
そのうちは大半はすでにこの世を去っていて、そのうちの一人メーダは後を追って自殺しました。
7人の妻のなかでクレオパトラ・エウリュディケという女性がいました。
オリュンピアスはこの娘エウローペーと息子カラノスを死に追いやるのです。
アレクサンドロス3世の覇業にとって邪魔な存在だからです。
母の愛は強し、と言いますがここまでくると恐ろしいものがあります。
息子アレクサンドロス大王は東方に遠征して偉業を成し遂げます。
ですが、帰国途中に病に倒れて亡くなってしまうのです。
偉大なるわが子を失ったオリュンポスの気持ちたるかいかほどだったでしょうか……。
アレクサンドロスはあまりにも有名な遺言を遺します。
その帝国を誰に継がせるかとの問いに、
「もっとも優れたるものを」と。
この問いに答えるために、40年にもわたる凄絶な後継者争いすなわちディアドゴイ戦争が起こるのです。
大王の死後、バビロン会議で大王の広大な領地は将軍たちに分割されます。
そのなかでアレクサンドロス大王の母オリュンピアスも暗躍するのです。
オリュンピアスが目をつけたのが、アレクサンドロス大王死後の
騎兵の総大将となったペルディッカスでした。
母オリュンピアスは、自分の娘クレオパトラとの結婚を勧めたのです。
先ほど話にでてきたアレクサンドロス大王の妹です。
ペルディッカスにとっては渡りに船です。
大王の血縁者になれば、王の後継者となることだってできるのです。
しかし、障害がありました。
後継者(ディアドゴイ)の一人であるアンティパトロスの娘ニカイアに政略結婚を申し込んだばかりなのです。
ですが、野心家のペルディッカスは大王の血縁になれるという、鴨がネギ背負ってやってきたようなオイシイ話を逃すつもりにはなれません。
そこでニカイアと一旦、結婚して、かじった林檎を放り捨てるかのように即座に離婚しました。
そして大王の娘と結婚しようとしたのです。
当然、アンティパトロスは激怒、他の後継者たちとともにペルディッカスを攻めるのです。
ペルディッカスは部下に殺されてしまうのです。
つぎに台頭したのがアンティパトロスです。
ですが、その際に病を得て死んでしまいます。
このとき、アンティパトロスはその地位を自らの息子ではなく老将ポリュペルコンに譲ってしまうのです。
これを恨んだのがカッサンドロスなのです。
ディアドゴイ戦争の混乱のさなか、オリュンピアスはポリュペルコンの支持を得て、フィリッポス3世を殺害します。
それをみてカッサンドロスが兵を率いてやってきます。
オリュンピアスの篭るピュドナを包囲します。
食料が窮乏したピュドナの住民たちは飢えに飢えて、死肉をあさる有様だったという。
オリュンピアスは船で脱走しようとするのですが、捕まってしまいます。
カッサンドロスは、オリュンピアスがこれまで殺してきた親族たちを連れてきます。
親族たちはオリュンピアスを殺すよう頼みます。
ところがカッサンドロスはオリュンピアスのもとにこっそりと使者を送るのです。
船を用意しているから、アテナイへ逃げろと。
これはカッサンドロスの狡猾な罠でした。
オリュンピアスが逃げる途中で殺し、彼女に恥辱に満ちた死を与えようとの思惑でした。
しかし、オリュンピアスはこれを断りました。
あくまでも聴衆の前に身をさらし、自らの身の潔白を訴えるつもりだったのです。
これを聞いたカッサンドロスは戦慄しました。
彼女はアレクサンドロス大王の母親、もしも弁明すれば、聴衆は心変わりするかもしれない……。
カッサンドロスはさっそく200の兵を差し向けた。
しかし、オリュンピアスは王母。宮廷に押し入ったもののその威厳に打たれて何もできず帰っていった。
しかし、彼女に肉親を殺された親族たちにはその威厳も通じなかった。
オリュンピアスは石打の刑にして殺された。
人生を権力をつかむことに一生を捧げたオリュンピアスは、命乞いを一切しなかったそうです。
娼婦フリュネと弁護士ヒュペレイデス【女たちシリーズ010】
今回も古代ギリシャの娼婦です。
紹介する女性はフリュネです。
この女性、裁判で罪に問われたときに聴衆の前で裸になって無罪になったといういわくつきの人物。
このフリュネという名は本名ではないのです。
『あだ名』です。
ネサレテというのが本当の名です。ちなみにどういう意味かというと、
という意味だそうです……。すげえな、とすこしドン引きしてしまいますが、当時の娼婦たちはよくこんな風にあだ名をつけられていたらしいです。紀元前371年頃生まれだそうで、テーパイの軍事的天才エパミノンダスがレウクトラの戦いでスパルタを倒して覇権をにぎった年なんですね。
フリュネは娼婦ですがたいへん裕福な女性でした。
これはと思った人物は無料でその身をあたえたといいます。たとえば哲学者のディオゲネスに身をあたえたそうです。
いつの時代も男は女に弱い。色気に弱い。
この女の武器を盾にとって戦争反対のストライキを起こしたアリストファネスの『女の平和』なんて作品があるくらいです。
こんな美人がどうして罪に問われたかというと、これがまたよくわからないのです。
ある種の不敬罪があったとのことです。
ジャン=レオン・ジェローム画
『アレオパゴス会議の前でのフリュネ』
弁護したのはヒュペレイデスという弁護士で、フリュネの恋人の一人です。
判決が不利になるかと見えた時、ヒュペレイデスが裁判官達の同情を得ようとフリュネの衣服を脱がせ、胸元を顕わにした。彼女の美しさが、神秘的な恐れとともに裁判官達の胸を打ち、彼らは「アプロディーテーの女預言者であり神官」に有罪の判決を下すことができなかった。
ここまでだとべつにwikipediaにも書いてあることなんですが、じつはこのエピソード、フリュネの美しさをし強調したエピソードであると同時にヒュペレイデスの雄弁を語ったエピソードでもあるんですね。
ヒュペレイデスはただの弁護士ではありませんでした。
アレクサンドロス大王の死後、ギリシャはマゲドニア帝国にたいして反乱を起こします。
その指導者の一人こそがヒュペレイデスなのです。
しかし、軍事的に優れたマケドニア帝国には太刀打ちできませんでした。
ラミア戦争に敗れたギリシャの指導者たちは処刑されます。もちろん、ピュペレイデスも……。
日本でも江戸時代に花魁たちがもてはやされましたが、権力者たちと交友を持ち政治にまで口を出すほど力をもつ娼婦は現れませんでした。古代ギリシャの女たちが家庭のなかに押し込められたからこそ咲き誇った花々なのです。
ペリクレスを手玉にとった傑物アスパシア【女たちシリーズ009】
ソクラテス:私には、弁論術に関して力量なみなみならぬ女教師がいるのだが、彼女はほかにも多くの優れた弁論家を産みだした。そのなかの一人がギリシア人の中でも傑出したクサティッポスの息子ペリクレスその人なのだよ。
メネクセノス:その女性とは誰でしょうか。むろん言うまでもなく、あなたがおっしゃっているのはアスパシアのことでしょうね。
今日はアスパシアについて。
古代アテネ最大の政治家ペリクレスの愛人だった人です。この人、どんな人だったかというと娼婦なんです。
遊郭を経営していたのですが、ただの娼婦ではありません。
プラトンやアリストファネス、 クセノポンのような一流の知識人が訪れていたというのだから驚きです。
たいへんな美人ですが、それ以上に優れた教養の持ち主だったわけですね。
なにしろペリクレスのもっとも有名な演説、戦没者葬送演説を書いたのはアスパシアと言われているくらいなのです。そのくらい頭のいい女性だと言われていたのです。
当時の娼婦たちは評判は悪いですが立派な職業でした。
アスパシアはアスパシアはイオニア地方のミレトス(現在のトルコ・アイディン州)出身です。古代ギリシャなのにトルコ? などと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、当時はギリシャ人たちの植民地でした。それがどういうわけか、歴史の流れでいまでは犬猿の仲になってしまいました。なんでもサッカーの試合でもお互いの国歌斉唱のときにブーイングするとか……。
そうそう、当時のギリシャでは外国人は結婚できなかったらしいのです。
それで娼婦になるわけです。
当時のギリシャではアスパシアのほかにも有名な娼婦たたちがたくさんいました。
普通の女たちは家を守る仕事がありますから、芸術活動なんでできない。
『家』に鎖でつながれているようなものです。
古代ギリシャは徹底した男社会ですからね、普通の女は文化活動なんて無理ですよ。
だから娼婦たちが自由に活動できたわけです。
『娼婦』というレッテルを貼られていますが、古代ギリシャの娼婦はいまの娼婦よりかはずっと自由で輝いていました。
そのアスパシアですが、たいへん野心的な人物だったようです。
ただの娼婦で終わることなく、政治的に力をもつ男性に愛されたいと常に願っていたのです。たとえば、いまの21世紀の日本でそういうことをしようとしても、無理に決まっています。国会議員の妻に春を売る商売の女性があるのは今のおカタい社会では不可能でしょう。
アスパシアは実行力があり、行動力もありました。
そしてペリクレスを射止めたわけです。ペリクレスは言うまでもなく古代ギリシャ最大の政治家です。
二人は小ペリクレスという子供を授かりました。
だからといってアスパシアが幸せになれたわけではありません。
彼女には困難が待ち構えていました。
これからアスパシアとペリクレスは政敵たちに散々に叩かれることになるのです。
いまの時代だって政治家には政敵がつきものです。
それが外国人の娼婦と一緒に暮らしているというのだから、非難を受けないはずがないのです。
娼婦アスパシアと一緒になったことで非難されました。
話が変わりますが、ZOZOTOWNの前澤社長と剛力彩芽さんが非難されたことがあります。
それについて個人的には色々と言いたいことがあるのですが、それはさておき、この二人への非難なんてペリクレスとアスパシアへの非難にくらべればゴミのようなものです。
まず剛力彩芽さんは女優ですが、アスパシアは娼婦です。
そしてペリクレスはアテナイを代表する政治家ですからね。前澤社長はいくらお金持ちとはいえ洋服屋の社長さんですから。
ペリクレスに消えて欲しいと願っている人物の怨念たるや、前澤社長に向けられたものの比ではないのです。
喜劇作家アリストファネスも『アカルナイの人々』でアスパシアを批判しています。
それどころか先妻との間に生まれたクサンティッポスまでもペリクレスを非難する有様。
しかも、アスパシアは不敬罪に問われます。
民衆に泣いてお願いして無罪にして貰い、「両親共にアテナイ人でなければアテナイの市民権を得られない。」とする自分で提案して成立させた法律をアスパシアとの間に産まれた子供に市民権を与えたいが一心で市民に泣いて頼んで、この子に市民権を与えてしまったり
惚れた弱みといいますか、男というのは好きな女にためなら、そこまでやってしまうものなのです。
ペリクレスはペロポンネソス戦争の最中に疫病によって病死します。
その後、アスパシアはアテナイの将軍で民主主義指導者リシクレスと共に生活し新たな子どもをもうけ、さらにはリシクレスをアテナイの政治指導者に押し上げたといいます。ですが、そのリシクレスも戦死してしまいました。
その後の彼女の人生については誰も知りません。
彼女の子供の小ペリクレスですが、将軍に任命されて勝利したが、アルギヌサイの戦いでスパルタに勝利したにもかかわらず、海難事故での責任をとらされて処刑されました。
古代エジプト伝説の美女 ネフェルティティ【女たちシリーズ008】
世界三大美人といえば小野小町、楊貴妃、そしてクレオパトラですね。
もっともこれが本当に世界三大美人なのが僕には疑問です。日本人にしか通用しない三大美人だと思います。
小野小町とか外国人知っているのかな、と、疑問に思いますが……。
しかし、クレオパトラが世界中に知られている存在というのは間違いないでしょう。
それと同時にエジプト三大美女というのがあるらしい。
一人は言うまでもなくクレオパトラ。
一人はラムセス2世の妻ネフェルタリ。
そしてもう一人が今回登場するネフェルティティです。
ちなみに前回紹介したハトシェプストは三大美女に入っていません。
まあ、女でありながら女を捨ててファラオとして君臨しようとした人なので、三大美女に入れること自体間違っているかもしれません(センムトを愛人にしていたようですが……)。
年代としては紀元前14世紀中頃です。
ハトシェプストのだいたい百年後の人物です。
もうこの頃になると
すごい昔……、
としか言い様がないほど昔のできごとで、百年の月日まで誤差にすぎないんじゃないかと錯覚してしまいます。
中国だと殷の時代ですか……。日本だったら邪馬台国なんてはるか未来の話。
そのネフェルティティですが、その正体は謎めいているんですよ。
ミタンニ王国から嫁いできた説と大神官アイの娘だという説があります。
※
そのネフェルティティですが、当時のファラオであるアメンホテプ3世に嫁ぎます。
アメンホテプ3世の在位は長期間にわたり、40年近く続いたといいます。
当時のエジプトは強国でした。
ハトシェプストの息子であるトトメス3世、その息子のトトメス4世のおかげで当時のエジプト第18王朝は隆盛していました。
しかし、アメンホテプ3世は死を迎えます。
いくら強大な力をもつファラオでも、死に打ち勝つことはできないのです。
アメンホテプ3世の死後、ハトシェプストはアメンホテプ4世の正妃となります。
このアメンホテプ4世、アメンホテプ3世の息子です。
息子の妻に父親の愛人になるなんてすごいですよね。我々庶民には想像もできない世界ですよね……。
この二人、どうやら相当愛しあっていたみたいです。
人前で平然とキスするような間柄だったらしいです。
なんとなくこれは想像ですけど、ネフェルティティの方が姉さん女房だったのかなという気がします。
アメンホテプ4世の母親はティイといいます。
この人もミタンニ王国出身なんですけど、平民の娘だったのです。
当時のファラオが王家の血をひかない平民の娘を妃にすることなど滅多にありませんでした。アメンホテプ3世はティイをとても大切にしました。
アメンホテプ4世は王家の環境にしてはめずらしいくらい自由な空気のもとで育ったのでしょうか。
そして有名な宗教改革を行います。
アマルナ改革です。
アメンホテプ4世は都をテーベからテル・エル・アマルナに遷都して、自らをイクナアトン(アトンに愛されしもの)と名乗ったのです。
そして自由な気風のアマルナ文化が栄えました。
これは学校で世界史を習った方ならご存知のことだと思います。
自分も高校は世界史を選択していたので覚えていました。
しかし、その理由なんて深いところまで考えているわけではありません。
イクナアトン……なんかカッコいい響きだなぁ……。
その程度のことしかわかりません。どうしてこんなことが起こったのかなんて考えたことありませんでした。
ところで、アメンホテプ4世の父親のアメンホテプですが……。
この人も遷都しているんです!
テーベからマルカタへの遷都を行っています。
その理由は神官たちにありました。
アメン神官団は強大な力をもっていました。アメン神官団たちの本拠地は都のテーベで、その力を削ぐために遷都をしたわけですね。
アメンホテプ4世が遷都をしていたのは知っていましたが、そのお父さんまで遷都をいていたなんて知りませんでした。
神官に敵対的だったのはアメンホテプ4世ばかりではありません。その父、いや、その前のトトメス4世の時代からすでに神官たちと対立してその力を削ごうとしていたのです。
それまでのエジプトは多神教でしたが、このアメンホテプ4世になって一神教になります。旧来のアメン信仰は禁止されるのです。
アメンホテプ4世はアテンの信仰によって平和的な世の中を築こうとしました。
しかし、政治の世界は力の世界です。アメンホテプ4世の理想どおりの世の中にはなりませんでした。
アメンホテプ4世の死後、子のツタンカーメンはメンフィスに遷都。
次の王アイの時代に信仰は旧来のアテン信仰に戻ります。
ちなみに平和な世の中を欲したアメンホテプ4世ですが、新都テル・エル・アマルナを建築するためにかなり労働者を酷使したようです。
ピラミッドを建築したときの奴隷はわりと待遇がよかったことを考えると、アメンホテプ4世の治世はわりとブラック企業だったのかもしれません。
ネフェルティティのその後の人生については詳しく知られていません。
記録が抹消されたからです。
ただ、ネフェルティティの胸像がその美しさを伝えるばかりです。