古代エジプト伝説の美女 ネフェルティティ【女たちシリーズ008】
世界三大美人といえば小野小町、楊貴妃、そしてクレオパトラですね。
もっともこれが本当に世界三大美人なのが僕には疑問です。日本人にしか通用しない三大美人だと思います。
小野小町とか外国人知っているのかな、と、疑問に思いますが……。
しかし、クレオパトラが世界中に知られている存在というのは間違いないでしょう。
それと同時にエジプト三大美女というのがあるらしい。
一人は言うまでもなくクレオパトラ。
一人はラムセス2世の妻ネフェルタリ。
そしてもう一人が今回登場するネフェルティティです。
ちなみに前回紹介したハトシェプストは三大美女に入っていません。
まあ、女でありながら女を捨ててファラオとして君臨しようとした人なので、三大美女に入れること自体間違っているかもしれません(センムトを愛人にしていたようですが……)。
年代としては紀元前14世紀中頃です。
ハトシェプストのだいたい百年後の人物です。
もうこの頃になると
すごい昔……、
としか言い様がないほど昔のできごとで、百年の月日まで誤差にすぎないんじゃないかと錯覚してしまいます。
中国だと殷の時代ですか……。日本だったら邪馬台国なんてはるか未来の話。
そのネフェルティティですが、その正体は謎めいているんですよ。
ミタンニ王国から嫁いできた説と大神官アイの娘だという説があります。
※
そのネフェルティティですが、当時のファラオであるアメンホテプ3世に嫁ぎます。
アメンホテプ3世の在位は長期間にわたり、40年近く続いたといいます。
当時のエジプトは強国でした。
ハトシェプストの息子であるトトメス3世、その息子のトトメス4世のおかげで当時のエジプト第18王朝は隆盛していました。
しかし、アメンホテプ3世は死を迎えます。
いくら強大な力をもつファラオでも、死に打ち勝つことはできないのです。
アメンホテプ3世の死後、ハトシェプストはアメンホテプ4世の正妃となります。
このアメンホテプ4世、アメンホテプ3世の息子です。
息子の妻に父親の愛人になるなんてすごいですよね。我々庶民には想像もできない世界ですよね……。
この二人、どうやら相当愛しあっていたみたいです。
人前で平然とキスするような間柄だったらしいです。
なんとなくこれは想像ですけど、ネフェルティティの方が姉さん女房だったのかなという気がします。
アメンホテプ4世の母親はティイといいます。
この人もミタンニ王国出身なんですけど、平民の娘だったのです。
当時のファラオが王家の血をひかない平民の娘を妃にすることなど滅多にありませんでした。アメンホテプ3世はティイをとても大切にしました。
アメンホテプ4世は王家の環境にしてはめずらしいくらい自由な空気のもとで育ったのでしょうか。
そして有名な宗教改革を行います。
アマルナ改革です。
アメンホテプ4世は都をテーベからテル・エル・アマルナに遷都して、自らをイクナアトン(アトンに愛されしもの)と名乗ったのです。
そして自由な気風のアマルナ文化が栄えました。
これは学校で世界史を習った方ならご存知のことだと思います。
自分も高校は世界史を選択していたので覚えていました。
しかし、その理由なんて深いところまで考えているわけではありません。
イクナアトン……なんかカッコいい響きだなぁ……。
その程度のことしかわかりません。どうしてこんなことが起こったのかなんて考えたことありませんでした。
ところで、アメンホテプ4世の父親のアメンホテプですが……。
この人も遷都しているんです!
テーベからマルカタへの遷都を行っています。
その理由は神官たちにありました。
アメン神官団は強大な力をもっていました。アメン神官団たちの本拠地は都のテーベで、その力を削ぐために遷都をしたわけですね。
アメンホテプ4世が遷都をしていたのは知っていましたが、そのお父さんまで遷都をいていたなんて知りませんでした。
神官に敵対的だったのはアメンホテプ4世ばかりではありません。その父、いや、その前のトトメス4世の時代からすでに神官たちと対立してその力を削ごうとしていたのです。
それまでのエジプトは多神教でしたが、このアメンホテプ4世になって一神教になります。旧来のアメン信仰は禁止されるのです。
アメンホテプ4世はアテンの信仰によって平和的な世の中を築こうとしました。
しかし、政治の世界は力の世界です。アメンホテプ4世の理想どおりの世の中にはなりませんでした。
アメンホテプ4世の死後、子のツタンカーメンはメンフィスに遷都。
次の王アイの時代に信仰は旧来のアテン信仰に戻ります。
ちなみに平和な世の中を欲したアメンホテプ4世ですが、新都テル・エル・アマルナを建築するためにかなり労働者を酷使したようです。
ピラミッドを建築したときの奴隷はわりと待遇がよかったことを考えると、アメンホテプ4世の治世はわりとブラック企業だったのかもしれません。
ネフェルティティのその後の人生については詳しく知られていません。
記録が抹消されたからです。
ただ、ネフェルティティの胸像がその美しさを伝えるばかりです。