悪妻クサンティッペと向けられた嫉妬【女たちシリーズ007】
悪妻
みなさんはこの言葉についてどう思いますか?
三大悪女というのがいるそうです。
クサンチッペは「世界三大悪妻」の1人として、西洋では知れ渡っています。
三大悪妻はクサンティッペ、モーツァルトの妻コンスタンツェ、そしてトルストイの妻のソフィア・アンドレエヴナ、ということになっています。
それにしてもなぜこの三人が世界でもっとも悪い妻なのでしょうか?
世界史には夫を殺した女はたくさんいるのに?
ソクラテスについてはもはや説明不要でしょう。
伝説の哲学者です。人類史に多大な影響をあたえましたが、夫として立派だったかどうかはわかりません。
容姿は魁偉であまり美しくなかったといいます。はっきり言って醜かったです。しかし、人を引きつける不思議な魅力の持ち主でした。残念ながらその能力はクサンティッペには通じませんでしたが。
ろくに働きもせず青年と語り合っているイメージが先行するソクラテスですが、ペロポンネソス戦争では重装歩兵として参加しています。古代ギリシャ人は我々とは生活が違いますからね。
著作『パイドン』において、
「妻としても母としても何ら貢献をしなかった」
と書いているのです。
プラトンにあれだけ崇拝されていたのだから、ソクラテスが魅力的な人物だったのは間違いありません。とはいえ、ぶっちゃけ無職ですからねぇ……。当時、クサンティッペには3人の子供がいたはずで、育児子育てが大変だったはずなのです。
だから、クサンティッペが怒るのも無理はないというのが通説なのです。
しかし、ふと疑問に思うのです。
なんでプラトンはクサンティッペの気持ちがわからなかったのか、と……。
プラトンはソクラテスの死後、アガデメイアという学園を創設します。
言ってみれば、大学の学長ですね。
色々な人生経験だってしただろうし、ふつうに考えればクサンティッペの気持ちもわかるはずなんです。
クサンティッペは15歳くらいのときに50歳くらい(おそらくは52歳)のソクラテスと結婚しているんです。古代ギリシャだと女性が15歳、男性が30歳くらいのときに結婚するのがふつうだったんです。ちなみにアリストテレスは男性の結婚の適齢期は35歳だと言っています。
35歳差の夫婦って、まず僕の感覚でいうと普通じゃないですよ……。
意思疎通できるのかなって……。
ソクラテスは70歳くらいのときに死んだんです。だからそのときにはクサンティッペは35歳くらいになっているはず。
ふと、思うんですよ。
当時、男同士の恋愛って古代ギリシャではわりと普通にありました。肉体的にはどうだったのか知りませんが、
クサンティッペは幼い上に、古代ギリシャは男尊女卑の世界ですから、当時のアテナイの女性は家庭に押し込められていました。(例外はあります。アスパシアのような高級娼婦は男に負けず劣らず教養があった。それについては今後書きたいと思います)。
教養のない女め……って嫉妬していた、その可能性は捨てきれない。
自分こそがもっともソクラテスを理解しているのだと。愛しているのだと。
その強烈な想いがクサンティッペを事実以上に悪妻に仕立て上げたのかもしれないのです。
弟子のペテロ・パウロの伝道がキリスト教を押し上げたように、弟子のプラトンの著作がソクラテスをヨーロッパ最高の哲学者に押し上げたことは疑いようのないことでしょう。
女性大好きな同性愛者の詩人サッフォー【女たちシリーズ006】
今回は同性愛者の詩人として有名なサッフォーについて。
こちらのはてなブログでも執筆されている勝間和代さんも同性愛者だとカミングアウトされています。
いつの間にか同性愛というのは悪ということになってますけど、どうなんでしょうねぇ……。いつごろからでしょうか?
マンモス追い回して原始人の時代から『同性愛は悪だ!』なんてことはなかったと思います。
古代ギリシャの頃は同性愛は悪ではなかったはずです。
サッフォーはレスボス島で生まれ、紀元前596年にシケリア島に亡命し、その後、レスボスに戻ったということのみ伝えられています。
ちなみに世界史で習うソロンの改革が紀元前593年頃だったはず。
そこで学校を設立したといいますが、
女性しか入学できない学校
というのだから驚きです!!
もちろんいまの時代なら女子高は当たり前です。
しかし、それがレズビアン……(サッフォーの出身地であるレズボス島からこの言葉が誕生したそうです。この言葉は蔑称であるらしく、正しくはバイセクシャルというべきらしいのですが)、つまりサッフォーが
女子を育てて良妻賢母にしたいわけではない。
女の子がすきだから……。
そういう理由で学校を設立したわけです。
サッフォーの詩は上田敏氏の翻訳で青空文庫で見ることができます。
女の弟子と交際したのですが、最後はふられて崖の上から身投げしたと伝えられています。
同性にふられて自殺……なかなか衝撃的な最後ですが、いまの時代だったらもっと衝撃的でしょう。いまはマスコミは控えめになっていますが、ネットならまとめサイトであちこちで書かれまくっていることでしょう。
女の弟子と交際したのですが、最後はふられて崖の上から身投げしたと伝えられています。
同性にふられて自殺……なかなか衝撃的な最後ですが、いまの時代だったらもっと衝撃的でしょう。いまはマスコミは控えめになっていますが、ネットならまとめサイトであちこちで書かれまくっているに違いありません。
しかし、サッフォーはそんなことは気にも留めないでしょう。
同性愛者であることを堂々と公表できるのは自分の才能に対する大いなる自信の現れなのでしょう。
いまの世の中、同性愛はそんなに衝撃的な出来事ではなくなっているような気がします。もちろん、自分の会社や学校に同性愛者がいたらとしたらそれは驚きます。驚かないといったらウソになります。しかし、同性愛が悪という認識は今の時代は薄れてきているのではないのでしょうか?
あの聖人孔子さまを誘惑した女? 南子【女たちシリーズ005】
唐突ですが、つまらないアニメの紹介をさせてください。
ネットで見つけて視聴したのですが、正直なところあまり頭に入ってきませんでした。『東周英雄伝』を原作としています。(ちなみにつまらないというのはアニメの方ですよ。『東周英雄伝』ではありません)
(これだけ見ると面白そうなのですが……。
ちなみにキャストは今では考えられないくらい豪華ですよ)
というのも、ほとんど孔子さまの言行録『論語』の1エピソードにしか出てこない人物なんですよ。儒教の世界ですから女性のような艶めいたエピソードが乏しいのは仕方ないことです。ちなみに紹介すると、
※
「子見南子、子路不説、夫子矢之曰、予所否者、天厭之、天厭之」
(孔子が南子に謁見した。
子路は快く思わなかったが、
孔子は「私にやましい所があれば、天これを私を嫌って見捨てるだろうよ)
※
たったこれだけ。
南子は衛の霊公の夫人で、淫らな女性だったと言われています。
ただ噂が勝手に一人歩きしたという可能性もありますが、僕はそうでもないと思います。
すくなくとも南子の夫の霊公は名君ではなかったでしょう。『霊』という文字がついている王様はたいていは暗愚ですから。
さて、話は南子ではなくて孔子にもどりますが、南子に会うということで、弟子の子路が怒るわけです。子路は孔子の弟子で一本気のある男ですから。
そんな南子ですが、
孔子を誘惑した……。
などという悪い噂をたてられています。おそらく孔子の死後の話でしょうが。
まあ、孔子の話を面白おかしくするためのデマなんでしょうけどね。
孔子が拝謁したとき、南子は簾の向こう側で会釈しただけといいます。
もしも南子が孔子を尊敬していたら、簾をあげてじかに会うに決まっています。
にも、かかわらずどうしてこんなデマがでてくるのか……。
孔子の人生って地味なんですよ……。
真面目な方には申し訳ないけど、孔子の人生って、ドラマ化してもちっともつまらないと思うんですよ。
四大聖人っているじゃないですか。
のこりの三人はみんなドラマチックな人生を送っているのですが、孔子だけはさびれた町の洋服店のように地味で見栄えはしないんですよ。実用性は高いんだけど、華やかではない。
だから南子が孔子に恋慕していたなどというデマが生まれたのでしょう。
儒教関係の話を調べるとあまり艶めいた話はでてきません。
儒学=お勉強ですからそりゃあ女性の話がでてこなくなるのは仕方がないことです。
儒学そのものは使い方次第ではものすごく役にたつ学問です。治世のための学問ですから。いわゆる君子を育てるのには役にたちます。
にしても、男尊女卑の傾向があるのは仕方ないところなのでしょうか……。
儒学というのは女性をつまらなくする作用があるのでしょうかね?
夏姫 男を翻弄した人生か、男に翻弄された人生か【女たちシリーズ004】
今回は夏姫。
『なつひめ』と読みそうですが、『かき』と読みます。この人物を最初に知ったのは陳舜臣さんの『十八史略』を読んだときです。
夏姫は鄭の穆公の娘です。
(鄭の穆公はのちに覇者となる晋の文公となる重耳を粗末に扱った『文公』の息子ですね。こちらも文公なのでややこしくてこんがらがってしまいます。今回の話とはさほど関係ありませんが)
『十八史略』は子供の頃に読んだのですが、正直どんな内容だったのか全部は覚えていません。でも、夏姫のことははっきりと覚えています。それだけ強烈なエピソードでしたから。
夏姫は兄である子蛮と禁断の関係にあったのです。
近親相姦の関係にあったのです。
ですが、子蛮は程なく死んでしまいました。
ふたりが男女の関係にあったという淫らな噂はすぐに広まりました。当然、父親である穆公の耳にも入ります。鄭の国にとっては一大事です。この醜聞を一刻も早く押さえ込まなければなりません。
そこで、陳の大夫の夏御叔に嫁がせました。
夏姫は子供を産んで、さてやっと落ち着いたかなといったところで、夏御叔が死んでしまったのです。
夏姫にかかわった男がどちらも早死してしまったのだから、たまったものではありません。
『夏御叔は自然死したのではなくて、殺されたんじゃないのか……』
などという者まで出てくる有様。
ところが話はこれで終わらない。今度は陳の霊公と陳の大夫の孔寧・儀行父までもが私通するという始末。
いかに夏姫の生きた男社会で、しかも封建社会、君主からの誘いは断れないとはいえ、いささか男性関係が派手すぎます。
しかも、3人は夏姫の肌着をつけて朝廷でふざけあっているというではありませんか……。
現代に置き換えてみればおっさん2人がブラジャーつけて職場で遊んでいるわけです。これはもう気持ち悪いとしか言いようがない。
中小企業ならそれでもまだどうにかなるかもしれません。(こういう職場が現実にあったら、働いているOLはどう思うか……)
しかし、陳の霊公は一国の君主です。
真面目な家臣だったら、当然黙って見過ごせません。
洩冶という家臣が霊公を諫めたわけです。
このことを霊公が孔寧・儀行父に言うと、
『洩冶を殺しましょう』
と、言うわけです。霊公は何も言わなかった。
孔寧・儀行父は洩冶を殺しました。
これはもう国家として終わっていますね……。
当たり前のことなんだけど、止めなかった時点で殺害を黙認したようなもの。
というか、むしろ孔寧・儀行父が霊公の意を汲んで洩冶を殺害したといった方が正しい解釈だと思う。
もちろんこの三人は洩冶を殺したことに微塵も罪悪感を感じてはいません。
夏姫のところで三人で宴会しているわけですよ。
霊公「夏徴舒はおまえに似ているな」
儀行父は「いやいや、我が君にも似ておりますぞ」
酔っ払ってこんなことを言い合っているわけです。
これに激怒した夏徴舒は霊公の暗殺を決意します。
霊公が外出するところを厩から弓を射て殺害した。孔寧・儀行父は身の危険を感じて亡命しました。
一国の君主が暗殺されてしまったわけですから、陳の国は大混乱に陥りました。
そこで強国である楚が軍事介入してくるわけです。
楚の軍がやってきて、夏徴舒は殺されてしまうわけです。
荘王は陳を自分の領地にしようとしたのですが、家臣の諌めもあって、に亡命していた陳の太子の媯午を迎え、陳を復国させました。
そして、成公として即位します。
ところが話はこれで終わらないわけです。
なんと、荘王は母親の夏姫を後宮に入れようとするのです。
謀反人の母親を自分のハーレムに入れようとか、いくら夏姫が絶世の美女とはいえちょっと異常ですよね。
夏姫は男を狂わせる魔性のなにかを秘めていたでしょうか。
これをとがめた家臣がいます。巫臣といいます。
「色を貪るのを淫といい、淫は大罰を受けるものです」といって王を諫言したので、荘王は後宮に入れるのを取りやめました。
また子反(公子側)が彼女を取ろうとしたので、巫臣は「これは不祥の人です」といって引き止めた。
荘王は夏姫を連尹の襄老にとつがせたが、襄老が邲の戦いで戦死し、その遺体が回収できなかったため、襄老の子の黒要が彼女と通じた。
ここまでくると悪女という生やさしいレベルではありません。
巫臣は自分が妻に迎えるので故郷の鄭に帰るように夏姫に伝えた。
巫臣は斉への使者として立った。巫臣は鄭に立ち寄ると、夏姫を迎えて、ともに斉に逃れようとした。しかし斉は鞍の戦いで敗れたばかりだったために取りやめ、郤至と連絡して晋に亡命した。巫臣は晋により邢の大夫とされた
これに怒ったのはかつて夏姫を手に入れようとした子反と荘王の弟の子重でした。
巫臣の一族を皆殺しにしてしまうのです。
復讐に燃える巫臣は呉の国を説いて、楚に侵攻させるのです。
このため子重と子反は1年に7度も戦いに駆けずりまわることとなったといいます。
はがきの威力を馬鹿にするな! 手紙で天下をとった男、徳川家康【関が原の戦い】
みなさん、連絡はどうします?
メールとか、ラインとか、色々なSNSが発達しているじゃないですか。
おそらく手紙よりも便利だと思います。
しかし、メールよりも手書きの手紙の方が気持ちが伝わる場合もあるのではないでしょうか?
それを実際に証明するエピソードがあるのです。
実証した人物は徳川家康。しかも、手紙の威力が発揮されたのは天下分け目の『関が原の戦い』においてです。
関が原の戦いについては説明はもはや不要でしょう。
1600年、徳川家康と石田光成が関が原で激突した戦いです。
この戦いで小早川秀秋の裏切りによって東軍の徳川家康が勝利したのは皆さんもすでにご存知でしょう。
この戦いは家康の東軍は8万、それに対して光成の西軍は10万以上だったと伝えられています。
兵力では家康の方が不利だったわけです。
しかも、作家司馬遼太郎の紹介によって有名になった逸話があります。
明治時代、プロイセン王国から覇権された軍事教官メッケルが関が原の戦いの布陣図を見せられました。すると即座に答えました。
『これは西軍の勝利だ』
実際に勝利したのは東軍ですが、そのことを伝えてもなかなかメッケルは信じてくれません。戦術的にはメッケルの言うとおりでした。しかし、東軍は事前に西軍に調略していたことを話すとやっとメッケルは納得したそうです。
その家康ですが、関が原の戦いの前の2ヶ月間に161通もの手紙を書いていたそうです。
すさまじい数の量です。
これがメールだったら、すぐに返信できるでしょう。もちろん当時はメールどころか電話さえありません。かりにあったとしても盗聴を恐れて使わないかもしれませんが。
しかも、この手紙は大半以上が家康の直筆だったそうです。
国のトップ、しかも死ぬか生きるかの戦争直前にこれほどマメに手紙を書くというのは驚くべきことです。
結局、家康の筆マメが効果を発揮して戦いに勝利し、天下を得ることができました。
かりに戦国時代にメールが存在して、しかも盗聴されず安心して使えると仮定しましょう。人生のかかった一大事の用件を、
(メールで伝えるかどうか……)
ちょっと疑問です。僕だったらじかに会えないのなら、手紙で書いて伝えますね。
裏切ってこちらの味方になってくれとお願いするわけですからね。
一世一代の大博打を頼むわけですよ。
それを指でぽちぽちと押して送信ボタンを『ぽちっ』と押したメールで、心が動かされますかねぇ……。
メールなどのSNSの方がずっと便利なのは間違いありません。
しかし情報化の難しい人の気持ちを伝えるには、
『はがき』
の方がよろしいのではないのでしょうか。
電子化された殺伐とした世の中でも、人の絆はまだまだ残っているでしょうから。
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ルクレティア 古代ローマの陵辱された貞淑な人妻【女たちシリーズ003】
これも歴史上に存在するかわからない女性です。
女性の名はルクレティア。
ローマ建国史に出てくる伝説上の人物です。
ですから、史実かどうかというと疑わしいところがある。
ですが、エピソードが鮮烈なので今回とりあげることにしました。
これがきっかけでローマは王政から共和制の道を歩むことになったのですから。
時代は紀元前509年。
ルクレティアはスプリウス・ルクレティウス・トリキピティヌスの娘で、ルキウス・タルクィニウス・コッラティヌスの貞淑な妻でした。
(名前が長くて覚えにくいですね……)
当時のローマはルトゥリ人のアルデアを攻撃中での夫は遠征軍の陣中にいました。
この時に王子セクストゥス・タルクィニウスという人物がいました。
覚えにくい名前ですね……。ローマの人物はたいてい語尾に『ウス』とかつきますから。
この時、セクストゥス・タルクィニウスらがコッラティヌスに、
「俺たちの妻はどっちが貞淑な女なんだろうな?」
と、言ったわけですよ。
妻にしてみれば、たまったもんじゃないと言わんばかりの話でしょうなぁ……。
王子さまの申し出なので断るわけにはいきません。しぶしぶだったのか、案外ノリノリだったのかそこまではわかりません。なんと二人は陣営を抜け出して二人が妻としてつつましく暮らしているかどうか確かめにいったのです。
勝手に抜け出したわけですよ、軍を。
これって指揮官たる王様から許可をもらったのでしょうか?
妻が貞淑かどうか確かめるために陣中を抜け出すって。
絶対にもらっているわけがない。こんなの許可されるはずがない。
時代が時代なら軍法会議ものですよ。
さて、妻たちのところにやってきた二人。
こっそりと様子を窺った訳です。
ところが王家の妻たちはみんな宴会して楽しんでいるわけです。
いまで言ったら一緒に奥様同士で演劇を楽しんだり、カラオケで馬鹿騒ぎをしているといったところでしょうか? いや、話のレベルが違いますね。
国民の代表たる王妃さまなのですから。
王子はがっくりと肩を落としたに違いありません。
一方のルクレティウスの妻はというと、つつましく夫の留守を守っていました。
ルクレティアの方が貞節だったわけです。
これで話が一件落着なら問題ないのですが……。
ルクレティアのもとにセクストゥスが訪れました。
なんと剣で脅して強姦しようとしたのです。
ルクレティアは屈せず、貞節を破るくらいなら死を選ぶと言い放ちました。
ですが、セクストゥスの奸智はさらに上をいきました。
死ぬなら勝手に死ね。ただし、殺したあとに裸の奴隷の死体をともに置いて、姦通の最中に殺されたようにするぞと脅したのです。
死のうが生きようが、どのみちルクレティアに操を守る道はありませんでした。
こうしてルクレティアは人妻の身でありながら、セクストゥスに犯されたのです。
我が身と貞操と誇りを汚されたルクレティアは、しばらくしてローマにいた父親と戦場にいた夫を呼び出しました。父はプブリウス・ウァレリウスを、夫はルキウス・ユニウス・ブルトゥスを伴って駆けつけた。
ルクレティアは4人の男たちの前で真実を話しました。
そして男たちに復讐を誓わせると短剣で自らの命を絶ったのです。
この事件がきっかけで王家はローマから追放されたのです。
その後成立した共和政ローマの最初の執政官にはブルトゥスとコッラティヌスが、その後の補充執政官としてウァレリウスとルクレティウスが就任している。
シェイクスピアはこの事件を題材に『ルーズリーズ陵辱』を書いています。
最後にセクストゥスですが、ふたたび王位に返り咲こうとあれこれ策動したようですが、結局は殺されたらしいです。
自業自得ですね。
ハトシェプスト 古代エジプトの男になりたがった女帝と漫画『蒼いホルスの瞳』【女たちシリーズ002】
もしも愛する我が子が自分と反対の道を歩んだとしたら、どんなに哀しいことでしょう。
母としての自分を子供に理解してもらえなかったら、どんなに哀しいことでしょう。
そういう悲劇は古代エジプトの頃からありました。
今回は女王ハトシェプストのお話です。
このハトシェプストですが、第18王朝、紀元前15世紀の人です。
日本では邪馬台国ができるはるか昔の出来事。
三国志もなければ項羽と劉邦もまだ生まれていない時代。
孔子だって釈迦だって生まれていません。
それなのにエジプトではすでに17王朝ができていたのです。とんでもない話です。
ちなみに、このハトシェプストですが現在漫画化されています。
『碧いホルスの瞳』という作品で、現在『ハルタ』という雑誌で連載中です。
漫画喫茶で読んでみましたが、なかなか面白いのでおすすめです。
ちなみに少女漫画家の山岸涼子先生もこのハトシェプストの短編を描いています。
さて、そもそも紀元前15世紀ってどういう時代だったんでしょうか?
ローマ帝国だってありませんし、ギリシャには都市国家つまりポリスは勃興していません。
中国だと殷の時代です。
エジプトではハトシェプストの時代のすこし後に預言者のモーゼが登場します。
まだモーゼの十戒もない時代なのです。
ハトシェプストの生涯
ハトシェプストはトトメス1世の娘として生まれました。トトメス1世はなかなか優秀な王さまで、軍人としても優れていました。
少女時代のハトシェプストについては、漫画『蒼いホルスの瞳』で生き生きと描かれています。男勝りで堂々とした女性だったのでしょう。もちろん漫画なので史実どおりかは疑わしいです。近代なら史料も豊富なので本当の性格に近いものが書けるでしょうが、なにしろ紀元前15世紀、三国志よりもさらに千年以上も前の話です。
さて、ハトシェプストはトトメス2世と結婚します。
このトトメス2世、父親はトトメス1世です。
あれ? おかしい、と思うかもしれません。古代エジプトの歴史に詳しい方はご存知だと思いますが、エジプトの王家は近親婚なんです。
トトメス2世はハトシェプストの弟だったのです。母親が違う異母兄弟です。
だが、このトトメス2世は病弱だったといいます。その治世は3年だったとも13年だったとも言われています。短い人生だったのは間違いありません。
近親婚を繰り返すと遺伝的に病弱な子が生まれやすいのです。王家というめぐまれた環境に育ちながらも短命な人物が多いのはそのためです。
トトメス2世は死ぬ前に側室イシスとの子であるトトメス3世を後継者として指名します。
ですが、息子が成人する前にトトメス2世が死去してしまいます。
当時のエジプトでは女性は王になれませんでしたが、他方で王の嫡出の長女に王位継承権があり、その夫が王になるという現在では分かりにくい制度になっていました。
ハトシェプストの治世
後の時代となると自ら男と宣言するハトシェプストですが、その治世は女性的で平和なものでした。戦争をせず、外交で平和な世の中をつくりました。
だが、彼女の治世は善いものでも、彼女の人生が幸せだったとは言い切れません。
息子のトトメス3世との仲はきわめて不穏なものでした。
トトメス3世の治世は母親とは正反対でした。『エジプトのナポレオン』と呼ばれるほどその軍事的は優れていて、軍事的にたいへんな業績をあげました。
そして母の死後、ハトシェプストに関する記録をすべて抹消しました。
’(これについては異説があります。エジプトの考古学者ザヒ・ハワス氏はハトシェプストとトトメス3世の関係は良好だったとの説を唱えています。)
『蒼い瞳のホルス』について
じつは『蒼い瞳のホルス』についていくつかのブログで感想を読みました。
で、こんな感想があったんですよ。
つまらない、と……。(汗)
そりゃあ、万人に受ける作品は無理だよな、そういう否定的な意見もあるよな、むしろ否定的な意見がある方が健全だよなと。そのブログをみてみるとその人は歴史好きなんですよ。それもコアなレベルの。
ああ……。
これって歴史好きの『あるある』なんですよ。(涙)
歴史好きは『歴史小説』とか『歴史漫画』とかに対する目が異常なまでに厳しいんですよ。
僕自身、何度テレビの前で時代劇をみて『これは違うだろう!!』と毒づいたことか……。(歴史好きのなかではそんなに重症ではないと思うんですが)
この『蒼い瞳のホルス』は犬童千絵先生が描いている作品です。
女性が描いている作品なので、その視線は当然なから女性視点になっています。その女性視点が『つまらない……』と書いたブロガーの方は気に入らなかったのでしょう。
たとえば作中にでてくるトトメス2世ですが、暴力的で、男の身勝手な部分を具現化したような人物です。この記事ではトトメス2世のことを病弱と書いてしまいましたが、作品にでてくるとくらべると、
(こいつ、本当にトトメス2世かいな……)
と、首をかしげてしまいます。
この作品の一番の魅力ですが、
自分自身が女王になった気分が味わえる
というところだと思います。
女王になることの苦しさ、強さが味わえる作品で、そういう意味ではこの作品はおすすめです。’(↓この作品です。立ち読みして、気に入ったらお買い求めください)
なお、この漫画が掲載されているハルタという漫画雑誌には『乙嫁語り』も掲載されています。
厳密には歴史漫画ではありませんが、こちらは本当におススメの作品です!!